尺八
Shakuhachi
奈良時代に古代中国(唐)から伝来したとされる正倉院所蔵の尺八には、前面に五つ、背面に1つの計六つの指孔(ゆびあな)が開けられていました。平安時代中期(9世紀末)の楽制改革によって尺八が雅楽の編成から消え去った後、尺八は、宮廷雅楽の一翼を担ったインサイダーの楽器から、鎌倉・室町時代を経て、無宿の乞食(こつじき)が吹くアウトサイダーの法器(ほうき:宗教の儀式や修行のための道具)へと大きく変容していきました。
尺八は長くなり(基本は一尺八寸:約54.5cm)、指孔は六孔から五孔へと減少しました。この変化によって、尺八のようなノーリードの管楽器特有の「メリ」「カリ」の技法が、より大きな役割を果たすようになります。顔をうつむけて唇と歌口(尺八の先端部分)を近付けることによって音程を低くするメリと、その逆のカリの技法です。特にうつむいた状態から顔を上げてメリからカリへとカリ上げていく過程で、尺八特有の濁った夾雑音(これを「倍音」と言う人もいます)を強く発生させることができます。近代西洋楽器が志向する濁音を排した純音とは真逆の、夾雑音を含み込んだ複雑な音色です。
尺八界には「一音成仏(いっとんじょうぶつ)」という言葉があり、ひとつの音を吹く、或いは聴くことによって成仏する境地を意味しているものと思われますが、これは純音の音階の変化・構成・メロディーによって音楽的な意味を作り伝える近代西洋音楽とは異なり、複雑な夾雑音を含み込んだ一音の中に深い精神性を見い出す日本古来からの「音楽」の在り方を表す言葉とも云えます。
普化尺八
Fuke Shakuhachi
江戸時代の虚無僧たちが吹いていた尺八は、どのような音色だったのでしょうか?
それは、「地無し管(じなしかん)」と呼ばれる尺八の、夾雑音を含んだ複雑な深い音色です。
明治以降に作られ、現在の尺八の主流となっている「現代尺八」は、真竹(まだけ)の節をくり貫いた竹管の内側に地(じ)と呼ばれる砥の粉(とのこ)や砥の粉と石膏等を混ぜ合わせたパテ状のものを塗り、その上から漆を塗ってツルツルに加工した「地塗り管(じぬりかん)」と呼ばれる尺八です。この地塗り管は、音程がコントロールしやすく、大きな澄んだ音を出しやすい作りになっています。
それに対して、虚無僧達が自ら作って吹いていた「普化(ふけ)尺八」は、真竹をくり貫いて孔(あな)を開け、地を塗らないままの「地無し管(じなしかん)」と呼ばれる、複雑な夾雑音を含んだ竹本来の響きが活かされた尺八で、禅の悟道を追究する在野の求道者たちの法器にふさわしいものであったと考えられます。

普化尺八(右側2本)と現代尺八(左側2本)は、外観の形状にはあまり違いが見受けられませんが、竹管の内側の加工状態が大きく異なっています。また、現代尺八は、竹管の内側に地を盛って加工しやすい等の理由から、二本に切られた竹管がほぼ中央でジョイントされた中継ぎ構造になっていますが、ほとんどの普化尺八は一本の真竹をそのまま使って作られています。これを「延べ管(のべかん)」と云い、普化尺八は「地無し延べ管(じなしのべかん)尺八」とも云われます。
本曲
Honkyoku
江戸時代に虚無僧が吹く「本曲(ほんきょく)」として完成を見た日本の尺八(音楽)は、中世期から江戸時代にかけて、腰に野宿のための薦(こも:むしろ)をくくり付けた流浪の乞食僧の薦僧(こもそう)や、戦に敗れた敗残兵や仕官先を失った浪人等の虚無僧たちによって生み出され吹き継がれてきた日本固有の(音楽)です。(音楽)とカッコ付きで記すのは、江戸時代まで尺八(音楽)は音楽ではなく、虚無僧が禅宗の一派であると称し江戸幕府から追認されていた「普化宗」において、尺八を吹くことは、悟り、解脱に至るための禅の修行であるとされていたからです。
虚無僧の中にはゆすりやたかり等の悪行をはたらく狼藉者も多くいたようですが、一部の虚無僧が尺八道を追究し続けた証として、今日まで百五十曲を超えると云われる本曲が伝承されています。支配者層のなぐさみや暇つぶしではなく、中世期から江戸時代にかけて、薦僧や虚無僧たちによって飢餓と戦乱の地の底から生み出され禅の修行として吹き継がれてきた本曲は、近代以前に創られた作者不詳の表現主義音楽とでも云うべき、世界音楽史においても類を見ないと思われる独自の完成度に到達しています。
鎌倉・室町時代は、武士が台頭し武力で雌雄を決する戦乱の時代であり、歴史を作った少数の勝者の背後に大量の敗者を生み出した時代でした。往々にして戦乱のきっかけは飢饉であり、平安時代末期から鎌倉・室町時代、応仁の乱、そして戦国時代へと連綿と続く戦乱は、雑兵(ぞうひょう)たちが収奪や人さらい、殺戮を繰り返しながら村々を進軍し、主戦場においては剣術のうまい下手など関係なく戦死者の七割方が上空から降ってくる無数の弓矢に射抜かれて絶命するという、正に地獄の修羅道でした。(参照:藤木久志著「飢餓と戦争の戦国を行く」吉川弘文館刊)
尺八は、平安時代中期の楽制改革によって雅楽の編成から消え去った後、宮廷雅楽の一翼を担った雅(みやび)なインサイダーの楽器から、鎌倉・室町時代の戦乱の時代を経て、流浪の乞食僧が吹くアウトサイダーの法器へと大きく変容していきました。
そして、解脱を目指す禅の修行として尺八を吹いた元敗残兵等を含む虚無僧たちが遺した作者不詳の伝承曲である本曲には、この飢餓と戦乱の時代の記憶が深く刻み込まれているように感じられます。本曲に通底して感じられる世界観。それは、諸行無常、盛者必衰、そして飢餓と戦乱の修羅の道の途上で死んでいった者たちへの鎮魂の祈りです。
本曲における重要な要素を総て含み込んでいる基本の曲とされる「本手の調(ほんてのしらべ)」や、故人の供養として吹かれた追善曲と云われる「手向(たむけ)」、門付け(かどづけ)に出かけている最中と、門付けの際、そして喜捨を受けた後に吹いたとされる「通里(とおり) 門附(かどづけ) 鉢返(はちがえし)」、禅の悟道を表しているとされる「深夜(しんや)」や「真蹟(しんせき)」、自然を表わしたと云われる「瀧落(たきおち)」など様々な曲調がありますが、基本的に独りで吹く作者不詳の独奏曲です。最も重要とされている本曲として、「古傳三曲(こでんさんきょく)」と呼ばれる「虚鈴(きょれい)」「虚空(こくう)」「霧海箎(むかいぢ)」があります。
遠州浜松 霊鐸山普大寺所傳「本手の調」
紀州伊勢 鈴法山普済寺所傳「手向」
奥田敦也『禅の音 地無し延べ長管尺八』より